よこりょー。のブログ

音楽の事とかその他も。

必要不可欠

お久しぶりです。

最近は気温の上がり下がりに左右されています。

そして、着ていく服も惑わされたりと

天気の思う壺であります。

 

最近は、ウォーキングを始めました。

結構前から腹筋と腕立てを回数は決めずに

きつくなってから十回以上やるというのをしていて

声にならない声をあげています。

 

冬、もう春かな。

こんな季節に汗をかく事がなかなか無かったんだけれども

走るってとても気持ちがいい事だと思いまして。

それ繋がりでスポーツとか始めたいなと思っていて、

以前中学高校はソフトテニスをやっていたので

硬式の方のテニスを趣味でやりたいなと今考えています。

 

ラケットとかボールとか買わなきゃなとか考えたりして、

その時、何か急に懐かしくなってきて

ソフトテニス始めた時瞬間って新しいゲーム買った時くらい

ワクワクしてたなって思って

童心に帰る気持ちというか

楽しみが楽しいに変わる瞬間というか。

 

それで、今日のタイトルの「必要な事」

に行き着くんですけども

結構広範囲なタイトルだなと個人的に思っていて

 

何に対して必要な事なのかとか

重要性、単純に要るものだとか。

 

先程の自分の話のテニスを始める事だとすれば

ラケットだったりボールが単純に要るものだとすれば

何故始めるのか、の理由が重要性だったりするのかなと。

 

 

そして自分に足りないものがあったとして

例えば苦手な事だとか、不得意な事。

スポーツで言えば自分はラケット競技以外は苦手で

野球やサッカーなどはてんで駄目だったりする。

 

でも苦手だったからこれまで

生きにくい人生だったかといえばそうでもなくて、

寧ろ自分に向き不向きが分かっただけ前向きな事だと言える。

 

そして、そもそも自分に足りないものが

本当に自分に必要なものかどうか。

 

が必要な事であると思う。

 

 

 

 

目に見える全て

学生の頃は今ある生活そのものが、

世界の全てだった。

この学び舎だけが、自分を助けてくれる場所

自分を強くする場所、そして

不意に独りにする場所だと思っていた。

 

だけど今は、今いる場所が全てで。

前より広い範囲で生きているというか。

 

単純に車や原付に乗れる事で

行ける距離が増えた事もあると思うけれど、

でも、あの時は誰かが動かす車や電車

そして自分一人で漕ぐ自転車や、

歩く事が自分の世界を広げる方法だった。

 

自分が自分の足で自分の世界を広げる度に

知ってる覚えてる道が増えて、

知らない街や、知らなかった家が

隣街や友達の家になったりした。

そしてそれら全てが自分の世界の一つになった。

 

今いる場所だって、あの時には

想像もつかなかったと思う。

そしてこれから何年後も

自分が何処に居るのかなんて

全く分からないし、分からなくても良いと思う。

 

もし、今その考えすら楽観で

間違っていると言われたとしても

自分が感じた全てが、

今は全てで良いと思っている。

 

 

 

 

会話

随分お久しぶりです。

と思って前回の記事読み返してたら

約一週間程空けていました。

 

一週間と知って「あれ思ったより経ってなかった」

という気持ちもあれば

結構前に書いたような気がして、

一週間の長さの感覚が考え方によって

違う様に感じられるなと思いました。

 

さて、最近は前も多分ブログで書いたかもしれませんが

ラジオをよく聴いています。

ラジオのことを話そうと思って今回のタイトルを「会話」にしました。

 

よく聞いているのは、三四郎ポッドキャストのラジオを

聞き返してるのと、

以前、おすすめして頂いたハライチのラジオ、「ハライチのターン」

これがもうとても面白い。

 

三四郎さんは、テレビでもよく見てて

小宮さんのイメージが強かったけれど

ラジオでは相田さんが活き活きしてて、

ずっと笑かされてます。

 

なんというか、澤部さんはテレビで見てて

イメージ通りというかイメージ以上な時もありますけどあの感じで。

岩井さんはラジオの喋りの方が活き活きしてる感じがしてとても面白い。

この気持ちもっと上手く伝えたい...。

 

最近ラジオを聞いてるせいか、

人の話し方や自分の話し方に焦点を当てて聞くことが多くなった気がします。

 

ラジオって以前の放送から繋がってたりすることが多くて

「あ、前のあの話か!」とか

話し方の癖だとかがわかってきて

後、その人の人となりも分かってきたりして

コンビだと話し方も似てきたりしてみたいな

ラジオを通して人の話を聴く楽しさとかもわかった気がしました。

 

このご時世だとなかなか面と向かって会話が、

会話の回数が極端に減ってしまったりするけれど

でもこのご時世だから、

会話する事や人と繋がる大事さを知れた気がする。

 

 

そして楽しい事や素敵な事は

形を変えて残り続けている。

 

 

 

 

不器用

不器用だけど生きたい

不器用なりに生きたい

自分という人間がつまらなくなっても生きたい

 

器用に本当は伝えたい事だけど

不格好でもいいから長く自分が思う事を伝えていきたい

 

今まで死にたいと思った事は無いけれど

逆に生きたいと改めて思った事も無い気がする

 

それでも思わず生きてしまうから。

 

生きる為のハードルは別に低くてもいい。

そもそもハードルすら無くても良いのかもしれない。

 

そしてこんな時だからこそ、考える時間が多くあって

でもこんな時だからこそ、考える内容が多くあるから

分からなくなって何も考えられなくなったりして。

 

でもこういう時だからこそ

人の表現や作品を観たり聴いたりして

気持ちが高ぶったりモチベーションが上がって

こうして文章として残してみたり。

自分の活力にしてみたり。

 

文章書く練習として始めたこのブログも

自己表現としての一部になってたり

これからもブログに限らず色んな事やっていきたいと思う。

 

 

 

不器用なりに自分の楽しい生き方を考えたりして。

 

正しい事

 

何をもって正しい事とするのか、

誰かの正しいは時に鋭く尖って突き刺さってしまう。

 

それは棘の様に、刺さる時は容易に刺さるのに

抜こうとしてもなかなか抜けなかったりする。

 

その棘を投げた方は傷ついたとしても

精々投げた手くらい。

 

投げられた方はそれを

受け止めるにしろ刺さってしまうにしろ、

一度突き刺さってしまえば

どうやって抜くか、そもそも

何故そんな棘(言葉など)を投げられないといけなかったのかを

少なからず強制的に考えさせられてしまう。

 

でもこれまでもこれからも何年も生きてると

人って間違ってしまうと思う。

逆に棘を投げてしまう側になってしまったとしても

投げてしまったとそれに気づける事と

言われた側になる客観性が大事だと思う。

 

その客観性を知るには、

言われた側の痛みを知っている事が大事だと思っていて、

どれだけ殴れば痛いのか、

どれだけ言えば傷つくのか、

 

火傷もしてみないとどれだけ熱いのかわからない。

だけど火傷や殴られるのも望んでされる事でも無いから

そうなった時に熱いや痛いを理解することだと思う。

 

でもこれは自分にとっての正しい事だから

他の誰かの正しい事には反するかもしれない。

それでもいいから自分の正しい事というのを

今回は書いてみました。

 

皆さんの思う正しい事は、

これから少しずつ変わっていくと思うけれど

きっとこれからも自分にとっての正しい事だと思います。

 

 

 

 

 

当てはまる感覚

お久しぶりです

最近暑いな、という書き出しで

書こうと思ってたけれど

昨日の夜くらいから凄く寒くなりましたね。

 

自分は、どちらかといえば

寒い方が好きだけれど

寒すぎると夏の暑さが少し恋しくもなります。

 

 

後、最近ジグソーパズルをしてました。

絵柄はゲーム「キングダムハーツ」で

自分がとても好きなゲームのパズルがあって

1000ピースのものを買ってやってました。

 

普段ジグソーパズルをなかなかやらないもので

1000ピースがどのくらいかかるものか知らなかったけれど

一番自分がびっくりしたのは、自分の集中力でした。

 

気付いたら3時間4時間経っていて、

こんなに3時間が短く感じたのも初めてでしたし

とても楽しい経験で、趣味として

ジグソーパズルを取り入れたいと思いました。

 

 

ジグソーパズルなどを経て趣味って大事だなと思って

最近アニメを見始めたり、カリンバを始めたり

色んな事を始めるきっかけが此処に来て

沢山出てきた、出てきたというよりは

拾えるようになってきたのかもしれない。

 

楽しい事は音楽に留まらず、他の分野にも転がっていて

それを少しずつ拾える様になった事が

最近の密かに嬉しい事でした。

 

 

それもあって最近何個か新曲が出来まして、1曲程

次の3月のライブで披露出来たらと思います。

今までのバンドの感じもありつつ

内に潜む葛藤みたいなものはこれまでもあった訳で

テーマとしては「ありのまま」で

その一つの感情に焦点を当てた、そんな曲になっていると思います。

是非お楽しみに!

 

 

 

 

 

 

それではまた。

 

 

 

 

 

大人になる事

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

初めてですが、

はてなブログにある今週のお題で書いてみることにしました。

 

 

 

 

 

大人になったと感じる瞬間って人それぞれ違って、

煙草を吸い始めた時、珈琲が飲めるようになった時、

車を運転するようになった時とか。

色んな場面で実感する事が多いと思います。

 

そもそも「大人」という概念も結構曖昧な気がしていて

歳が20歳超えたから大人って訳でも無いし、

「子供な大人」もいて逆に「大人な子供」も居る訳です。

 

でも一概に「子供な大人」が悪い訳でもなくて

子供の心、「童心」とか「好奇心」を

持ったとても楽しい大人の人も居ると思います。

形式上、子供は辞められる、もしくはそうでなくなってしまうけど

大人は辞められません。

 

さて...話が少し脱線しましたが、

自分が大人になったと実感した時は

18歳で福岡で一人暮らしする時に

付き添いで一緒に一人暮らしの部屋に

来てくれる訳ですが

 

此処に住むって感覚より

此処に泊まってるって感覚で

一緒に来て自分だけ帰らない事が

とても変な感じでした。

その瞬間が自分にとっての

大人になったと感じる瞬間でした。

 

大人になった、というよりは

大人にならなきゃな、の方が強かったです。

これが自分にとっての「大人」になったと感じる瞬間でした。

 

 

皆さんはいつ「大人」になりましたか?

もしくはいつ「大人」になっていくでしょうか?